2011年08月15日

今日は終戦記念日11

本日、8月15日は、
終戦記念日です。


Hiroshima_A-bomb-dome001k.jpg

66年前の今日、
太平洋戦争が終わりました。

それでは、今回は32年前、
1979年(昭和54年)8月6日、
福岡市立友泉(ゆうせん)中学校の1年のあるクラスでの
平和授業で発表された、
「親たちの戦争体験談」を
紹介いたします。


なお、文中、不適切な表現がありますが、
発表当時、1979年(昭和54年)の時代背景と、
当時の中学生たちや先生の表現を、
そのまま紹介いたします。
ご了承下さいませ。

同級生女子、やなさんの発表。
「私の母は、宮崎県の都城の山で
アメリカ軍の飛行機が銀紙を撒き散らすのを見ました。
母の話では、それは日本軍のレーダーをかく乱するためでした。」


解説:
銀紙を多数散布して「米軍機が多数飛来」か映ったところへ
旧陸軍機もしくは旧海軍機を向かわせて、
米軍機たちは、目標を攻撃する作戦と思われます。

US06kp0463.JPG

同級生男子、すえくんの発表。
「僕のお父さんは米軍機が機関銃を撃っていたのを見ました。
そのあと撃たれた家には「近づくな」と大人から言われて
近づけませんでした。」


解説:
1945年(昭和20年)の米軍戦闘機による機銃掃射だと思われます。
硫黄島、沖縄が米軍に占領されたあと、日本本土は、
戦闘機の航続距離に入り、昼は戦闘機による機銃掃射、
夜は爆撃機による爆撃を受けました。
攻撃目標は、軍事基地、軍需工場のほか、
住宅、鉄道、学校など無差別に攻撃されました。
おそらく銃撃された家には、死体があった模様で、
「近づくな」は、子供たちに見せたくなかったと思われます。


同級生女子、かおさんの発表。
「私のおばあちゃんは、昭和20年6月の福岡大空襲に遭い、
近所の人たちが炭になったのを見ました」


解説:
福岡大空襲の体験談です。
「近所の人たちが炭になった」は焼死体です。
「炭になった」と言うほど、
空襲に使われた焼夷弾の威力は、
すさましかったようでした。

同級生男子、まーくんの発表。
「僕のお母さんとおばあちゃんは、
アメリカの飛行機が空から落とした手紙を見ました。
その手紙は、町内会のおじさんとおまわりさんに渡しました」


解説:
1945年に米軍機は、当時の国民に対して宣伝するため、
上空からビラを撒き散らしました。
内容は「戦争をやめるように」と「次の爆撃予告」などでした。
まーくんの発表には、内容はありませんでしたが、
おそらく上記の内容のどれかが印刷されていたようです。

Nagasaki_heiwa001k.jpg

同級生女子、うめさんの発表。
こちらは今でも忘れられません。
「私の父は、長崎県の諫早にいました。
長崎原爆の日、長崎市のほうから、
多数の被爆者が避難して来ました。
多くの人たちは、ボロボロで幽霊のような感じでした。」


解説:
被爆者の方々を生で見た証言です。
「ボロボロで幽霊のような感じ」という表現は、
まさに被爆者の方々が受けた原爆の熱風が、
すさましいものであったかを伺わせます。
私も写真や、漫画「はだしのゲン」でしか見た事がありませんが、
生で見たうめさんのお父さんの目には、
それより生々しいものに写ったと思われます。

担任の美術の先生の発表。
「私は戦時中は学徒動員で、
今宿の三菱電機の工場で働いていました。
私より2、3歳年上の先輩たちは、
徴兵されて戦場に行った人もいました。」


解説:
担任の先生は、発表当時50代でした。
戦時中、先生は旧制中学生(現在の高校生に相当)でした。
そのころの10代の子供たちは、先生の話の通り、
工場などで働いていました。
なぜなら、本来、工場で働いていた成人男性が、
徴兵、召集で、軍隊に取られ、
戦場で戦っていたからです。
なお文中に出て来た「今宿の三菱電機の工場」は、
現存しております。
(福岡市西区今宿、JR今宿駅のそば)

そして、かつおの発表です。
「僕の父さんは、
大分のいなかにいて無事でした。
お母さんは、
満州のハルピンにいて無事でした。
ただし、ハルピンより先にいた人たちは、
ひどい目にあったようです。」


クラスのみんなが、
「生で米軍機を見て怖い体験をした」発表だったで、
みんな「ワー」と驚いていたのに対し、
私の発表だけは、シーンとしていました。

その後、担任の先生が、
私の発表について解説してくれました。
現在の中国・黒竜江省などに相当する地域は、
当時は「満州国」と呼ばれていた「独立国」でした。
私の母の家族は、そこに開拓団として入植、
1945年8月9日、
旧ソ連軍(現在のロシア軍など)が中国東北部に侵略、
母の家族は運良く、日本に帰ることができましたが、
ハルピン(哈爾浜)の先にいた人たちは、
戦闘などに巻き込まれ、多くの方々が亡くなりました。
先生の解説を聞いて、
戦時中、日本はアメリカ以外にも
旧ソ連やイギリス、中国と戦っていたことを
初めて知った子たちもいました。

つまり、運が悪ければ、
私の母は中国残留孤児になるところでした。
そうなったら、現在の私はいないでしょう…

以上が、
1979年(昭和54年)8月6日に発表された、
福岡市立友泉中学校の1年生の
「親たちの戦争体験談」でした。

みなさまの、お父さん、お母さん、
もしくは、おじいさん、おばあさんから
戦争体験談は
聞いたことがありますか?
ぜひお聞かせ下さいませ。


魚

ニックネーム かつお at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 報道・社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この記事へのトラックバックURL
http://a-thera.com/tb/2779653
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック